院長のひとりごと

喪失感

今年に入り辛いことが続きました。なかなか気持ちが晴れず体も重くなり鬱々とした時間が流れております・・。 とはいってももうあっという間に春が近づいてきました。気持ちをすっきりとさせて気分良く明るく春を迎えたいと思います。 喪失感の原因は義弟の死でした・・・義弟は高校時代の同級生でも有り、地検の検事正を最後に退官し、公証人としてこれからのんびりと人生を送ろうとしていた矢先でした。胃の不調から胃癌が発見されたのですが、よりによって最も質の良くない種類の癌であり、見つかったときは手術不能でありました。確定診断をつけ化学療法が開始されるとそれなりに元気が出てきて仕事にも少しずつ復帰し、夏には一緒に軽井沢に行きのんびり過ごすことも出来るようになりました。しかし年末に体調を崩し、化学療法のセカンドラインを始める直前に再入院となりあっという間に症状が悪化し、緩和ケア病棟へ移って1週間程で帰らぬ人となりました。 高校時代の友人ら7〜8人と年に数回集まっては酒を飲みながらいろいろな話をする会があります。私の年齢ではもう仲間は定年、とはいえまだまだ第一線で仕事をしている人間もおりますので、そういう機会でもなければ集まっていろいろな話をする機会は少なく、私にとっては貴重な会でありました。そんな仲間達が緩和ケア病棟に行って最後に言葉を交わしたのが無くなる3日ほど前でした。辛うじて顔がわかり一言声を掛けられたのは気持ちの上では良かったと思いました。葬儀は亡くなってから5日ほど経ってから行われ、大勢の人に温かい言葉を掛けられ見送られていきました。一寸何か穴が空いたような気分でおりましたがその2週間後、時々集まる仲間の一人が新聞の死亡記事欄に出ているではありませんか・・・。彼もまた数年前に胆嚢癌の手術をし、このところ体調が優れないとのことで年末に我が家に集まって義弟を励まそうとした忘年会にも突然不参加でありました。 最近になり、年齢を意識するようになっては来ましたが、まだまだ60歳代前半で二人の仲間を失うのはとても辛いことでした。 ふとした時にシニカルなコメントをする義弟の顔が浮かび、20代の頃に仲間3人で義弟の車で京大へ行った同級生の所に押しかけて行ったことや、その時に比叡山ドライブウエイーの途中にあったJazz喫茶でJazzを聞いたことなどなどいろいろなことが突然頭を巡り、そんな一緒に過ごしたときの事が次々と浮かんでは消えて行き、目頭が熱くなるような事が続きました。決して年中顔を合わせては酒を飲み語り合う様な距離感ではありませんでしたが、やはり二度と言葉を聞くことや顔を見ることが出来ないという事が現実となるととても淋しく辛い気持ちになってしまいました。それに続いてもう一人の仲間も2週間後に他界し、つい1年ほど前に中国へ赴任する仲間の一人の壮行会で集まった写真に写っていた2人が帰らぬ人になってしまいました。 1月末からそんな喪失感にとらわれて全く何もやる気が起きず、締め切り原稿にも手が付かず、研究会やらなにやらの人の集まる会に参加するのも億劫になってしまいました。そんなときは睡眠障害も起きるものですね・・・・不調の悪循環でした。 仕事柄多くの人の死に接し、別れや家族のいろいろな形を見てきたつもりではありますが身近な人との別れはこんなに応えるものであるとは思いませんでした。 私の両親は95歳85歳でまだ二人で一応元気に過ごしております。その年齢であれば死は大往生・・お祝いと成るでしょう。まだまだ働き盛りの人の死は悲しく辛いものですね。 多分これからはこういった別れが沢山出て来ることでしょう。自分の死と家族を考える良い機会ではありました。 春に向かって気持ちを切り替えて行きたいと思います・・・・。